还记得你的小学老师吗?从温泉管理到小学教师
Profile
姓名 (昵称) |
林前辈 |
---|---|
公司名 | 横浜山手中華学校 |
职业 | 教师 |
入社 | 2013年入社 |
出身于篮球世家的林前辈在高中时代被日本的明星学园高中相中,作为“明星学园篮球部的王牌”只身赴日开始了一段传奇的旅程。
日本的体育系到底有着怎样的特质?为什么日本的企业偏爱体育系的人才?
作为一个中国人又该如何适应日本的“纵向社会”,如何处理前辈后辈的关系呢?
让我们来听听体育系的美女老师林前辈的故事吧。
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关于株式会社極楽湯和横滨山手中华学校
・ 極楽湯株式会社極楽湯1980年创立的,日本店铺数量最多的浴室和温泉连锁店。
2013年2月在上海的第一家海外店铺[極楽湯 碧云温泉馆]盛大开幕。
・ 横滨山手中华学校
1898年,在国父孙中山和才子梁启超的牵头下创校,后来成为清帝国改革派的海外据点
现设有幼儿园,小学部和初中部。
横滨山手中华学校主要在日华侨子女构成,也有希望在国际化教育环境中成长的日本学生。
2008年,中华人民共和国前主席胡锦涛先生访问横滨山手中华学校。
满满的战斗力-日本的体育系
Q
林老师
我的经历非常特殊。在我高一的时候,日本明星学园高中,就是小栗旬的高中哦(笑)的篮球教练和我家人认识,然后也觉得我非常适合去日本打篮球,问我有没有兴趣过去。我当时就同意了。虽然我的父母也会很担心,小小年纪就一个人去海外生活,但是我最终还是来了日本。而且我刚来日本的时候住在日本人家里,他们都对我非常好。
Q.
林老师
体育系确实非常幸苦,在完成学业的同时还要每天接受高强度的训练。并且,日本的体育系是一个“縦社会”(纵向社会,上下级关系森严的一种社会形态)的缩影。作为一个在中国长大的孩子来说适应起来还是有难度的。
Q.
林老师
对的。因为体育系的学生比较富有战斗力吧(笑)。无论是身体还是精神都非常tough,而且注重团队合作,行动力,执行力都非常强。总的来说体育系的学生在组织中可以发挥很强大的战斗力。
Q.
林老师
我们的独生子女成长环境造成了我们有意识或无意识的自我中心。所以来到日本以后,适应这个社会的话,要扔掉一些自我的东西。然后,除了忍耐之外,还能以大局、集体为重的话,就能比较快地适应日本的社会。我觉得日本很了不起的地方,就是在资源短缺的情况下,还能发展成领先世界的经济大国,而这与日本人以集体为重的民族性分不开。所以,日本有很多我们可以借鉴学习的地方。
Q.
林老师
我后来是考入了东京女子体育大学,当时的专业就是教育。这也是我后来从极乐汤转职去做老师的一个原因呢。当然,大学里面也是体育系的啦,然后我记得很清楚就是当球队发生问题的时候,大三肯定会追究大二的责任,然后大二再去追究大一的责任。其实我不是很喜欢这种制度,但是我觉得更重要的是从中学会忍耐,学会从集体的角度出发考虑问题。这样的体育系,一定满满的都是战斗力。
从极乐汤转职到横滨山手中华学校-追求自己的理想
Q.
林老师
也没有特别有利吧。但是确实在面试一些企业的时候,大家都评价我能够精神饱满地问候他人。这个是最基本的,但是很多外国人对这个最基本的礼仪没有很强烈的意识。这些基本的礼仪是你留给别人的第一印象。在日本,基本的素质、礼仪、待人处事的态度是很重要的。尤其是我一开始去的极乐汤。它是一家服务行业,所以特别看重一个人的礼节。
Q.
林老师
我觉得这些礼节什么的并不像能力,更应该说是一种习惯。这些东西很难用语言表达,形成这种习惯的因素包括人生阅历、教育背景,成长环境等等。所以,我觉得像咱们留学生有受到高等教育的话,肯定都具备这些素质,区别就在于怎样自然地体现出这些。把它们当成习惯。
Q.
林老师
因为极乐汤当时正好在筹备到上海去开[極楽湯 碧云温泉馆],所以希望能够录用一些中国人留学生。当年除了我之外还录用了一个男生。我们入职的时候就是综合管理职,但是刚进公司那会儿,一开始一定是在分店里学习它的服务流程什么的。不过最终公司应该是想让我们在日本把日式的服务学好,然后回中国管理碧云温泉馆的。
Q.
林老师
没有没有,极乐汤是个很好的公司。而我转职的原因是因为自己本身就是学教育的,我又很喜欢小朋友。我是单纯就是为了追求自己想要做的工作才转职去做老师的。
Q.
林老师
是的。日本是一个非常重视教育的国家,所以它的教员资格证也非常难考。但是即便你具备这个资格以后,还是得看机遇。我周围的大学同学,有很多是来自地方的,在地方的学校不是很多的情况下,公立学校占主导。你要去公立学校当老师的话,是相当难的。机会好的人,可能哪个老师要休产假,学校有空缺,就会去排队。一般母校收集信息比较快一些,通过自己的母校收集信息的方式比较多。日本是一个纵向社会,给以前老师打电话,从好的角度来说,也方便与母校建立联系,“有空缺的话,请告诉我”。现在很多年轻人在担任讲师即临时教员。还是看你的阅历,私立学校招人像公司面试一样,看你个人,包括你的阅历、学历、适合条件等综合素质。总的来说,教师资格证成为一名老师的敲门砖,但是没有敲门砖的话,你很难去证明自己具备专业的、系统的知识。因为教师资格证融合了四年之内的学习,最后的教育实习也包括你的论文。
極楽湯株式会社と横浜山手中華学校について
• 極楽湯株式会社(極楽湯株式会社)極楽湯1980年創立。日本で店舗数が最大の温泉チェーン店である。
2013年2月に、上海に初の海外店舗[極楽湯 碧云温泉馆]を盛大にオープンした。
• 横浜山手中華学校
1898年中国の父である孫中山と、梁启超が仲介となり創立され、その後清帝国改革派の海外拠点となった。
現在は幼稚園、小学校、中学校がある。
横浜山手中華学校は主に在日華僑の子女で構成されているが、国際的な教育環境を希望する日本の学生もいる。
2008年には中華人民共和国の前国家主席である胡錦濤さんが横浜山手中華学校を訪れている。
エネルギーあふれる体育会の学生
Q.
林先生
私の経歴は非常に特殊で、高校一年生の時に日本の明星学園高校、小栗旬も通っていた高校(笑)のバスケットボールのコーチと、私の家族が知り合いました。その時、私は日本でバスケットボールをするのが自分には非常に合っていると感じました。コーチに日本でバスケットボールをすることに興味があるかと聞かれて、すぐに日本へ行くことを決意しました。当時、父も母もとても心配をしていましたが、私は幼いころから一人で海外で生活をしていたので、やはり日本へ行くことにしました。日本の来たばかりの時には、日本人の家に住んでいましたが、私にとても良くしてくれました。
Q.
林先生
体育系は確かにとても大変です。学業に専念しつつ、毎日つらいトレーニングを受けないといけないので。しかも、体育会系というのは日本の 「縦社会」の縮図であると思います。中国で育った者として、適応するのも一苦労でした。
Q.
林先生
そうですね。体育会系の学生は体力がありますよね。それに体や精神が非常にタフで、協調性や行動力、実行力に関しても大きな強みを持っています。まとめれば、体育会系の学生は組織の中で大きな力を発揮してくれると思われているということです。
Q.
林先生
一人っ子政策によって意識的にも無意識的にも自己中心的な思考が作り出されていました。日本に来てから社会に適応するなら、こうした自己中心的な思考を無くす必要があります。忍耐力以外にも、広い視野を持ち組織を重視することで、日本社会にすばやく溶け込むことができます。また日本はとてもすばらしい場所であると思います。資源が不足している状況下でも、世界の経済大国のトップとして発展でき、これは組織を重視する民族性と引き離すことはできないと思います。このように日本には私たちが多くの学ぶべきことがあります。
Q.
林先生
私はその後東京女子体育大学に入学しました。当時の専門は教育で、これは極楽湯か ら教師になったひとつの原因であるとも言えます。もちろん、大学の中にも体育学部はあります。それから、一番記憶に新しいのはチームで問題が起きたときに、3年生は2年生に責任を追及し、2年生は1年生に責任を追及したことがありました。私はこうした制度が好きだったわけではありません。しかし、もっと重要なのは耐えるということ、組織という観点から考えるということです。こういった点で体育会系は非常に力をもっていると思います。
極楽湯から横浜山手中華学校へ-自分の理想を追い求める
Q.
林先生
特別に有利というわけではないですね。でも確かに面接した何社かの企業は、私が元気よく挨拶ができると褒められました。これは最も基本的なことですが、外国人の多くはこの基本的な礼儀に対して強い意識がないと思います。こうした基本的な礼儀によって第一印象は変わると思います。日本では基本的な素質、礼儀、人とのかかわり方や態度がとても重要です。特に私が極楽湯で働き始めたときはそうでしたね。極楽湯はサービス業なので、非常に礼節を重要視していると感じました。
Q.
林先生
こうした礼節は決して能力ではなく、ある種の習慣だと思います。こうしたものは言葉で表現するのは難しいですが、人生経験や教育背景、成長環境を含めて習慣となると思います。なので、私たち留学生が高等教育を受けているのならば、きっと一定の素質を持っています。違いは、自然にこれらを体現しているかどうかだと思います。礼儀を習慣化してください。
Q.
林先生
極楽湯は当時ちょうど上海で開店準備をしており、中国人留学生の採用を希望していました。その年私以外にも一人男性を採用しています。私たちは総合管理職として入社しましたが、会社に入ったばかりの頃は、支店でサービスの流れなどを学ぶ必要がありました。会社は、私に日本で日本式のサービスを学ばせてから、最終的には中国に戻り碧云温泉で働いてほしいと思っていたのでしょう。
Q.
林先生
いやいや、そんなことはないですよ。極楽湯はとてもいい会社でした。私が転職を考えたのは自分自身の専攻がもともと教育系で、小さい子供が好きだったからです。単純に自分のやりたい仕事をしたかったので、転職をし、教師になったのです。
Q.
林先生
そうですね。日本は教育を重要視している国で、教員免許を取得するのもなかなか難しいです。しかし、この資格を取得したらあとはチャンスを待つのみですね。周囲の大学のクラスメイトは、地方出身者が多くて、地方では学校が多い状況ではなく、公立学校が多くを占めています。そのため、公立学校で教師になるには相当難しいと思います。チャンスに恵まれている人であれば、先生が産休をとった等で学校に空きがあると分かると、すぐに応募できます。普通は母校に関する情報収集が早く、母校を通じて情報収集する方法が多いと思います。日本は縦社会で、以前お世話になった先生と連絡を取り合い、良く言えば母校との関係を築きやすく、「空きが出たら連絡をください」と言えるようになります。現在多くの若者が講師または臨時教師という状態です。やはり私立の学校が会社と同じ風に面接をするように、経験や学歴、条件に合っているかなど総合的な素質も含めて個人を評価しています。まとめると、教員免許は教師になる第一関門であり、第一関門を突破しなければ、自分の専攻や知識を証明するのは難しいと思います。教員免許は4年間の学習が組み合わされているため、教育実習や最後の論文も含まれています。
インタビュアー:耿,吴
編集責任者:袁野
翻訳:岩名地、山崎
編集責任者:袁野
翻訳:岩名地、山崎